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サンタクロースの起源 [オリジナル小説]

昔々、紀元2世紀ごろの中国でのお話。

揚子江の源流の一つのある川のほとりに燦宅と呼ばれる邑がある。

そこに嵩子なる若者が住んでいた。
嵩子は子供の頃から手のつけられない乱暴者で、十五を向かえる頃には付近の村々の暴れ者をひとまとめにして、盗賊の真似事をするようになっていた。

当時中国は荒れに荒れており、山賊盗賊などはどこの邑でも手を焼いていた。
ちょうどこの燦宅の山一つ向こうでは、朱い衣を身に着けた『朱衣賊』が猛威を振るっていた。

嵩子はその朱衣賊の仲間に入り、中央から来た役人の家や、金持ちの領主たちの家を襲い、略奪を続けた。

そして何年か過ぎたある時、朱衣賊の横暴にようやく政府が重い腰を上げ、朱衣賊の討伐にあたった。
嵩子はこの時捕縛され投獄される。

その獄中生活で嵩子はある儒学者と出遭う。
そこで未来の政治を討論する儒学者たちの言葉に心を動かされた嵩子は、今までの乱暴を改めて儒学者として生きる決意をする。

しかし残念ながら彼の名が儒学者として歴史に残ることはなかった。
彼は辺境の地で淡々と道行く者に教えを説き続けて、齢を重ねた。

やがて年老いた嵩子は生まれ故郷の燦宅に戻り、邑の子供たちに読み書きを教える日々を送り、邑の人からは『老嵩先生』と呼ばれ親しまれていた。
そして年末になると、昔を思い出してか、朱い衣を身に纏い、少しでも若き日の罪を償おうと子供たちに菓子を配って歩いたという。

たまたまにその光景を目にしたのは、かのローマ帝国からの使者の一人である。
ローマの使者が邑の者に「あれはなにか?」と問えば邑の者は皆、こう言ったのである。

「あれは燦宅村の老嵩先生です」

その使者がその風習をローマに持ち帰ることによって、ヨーロッパ全土に伝わり『燦宅老嵩』が現在もクリスマスに世界中から親しまれる『サンタクロース』になったのは言うまでもない。





※尚、蛇足ではあるが、ヨーロッパでは白い服のサンタクロースが、コカ・コーラ社の看板によって赤に変えられて以来、赤い服が定番になったのは偶然というにはあまりに出来過ぎた偶然であるといえる。


※最後に、これは全部嘘です。









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